火も人も時間を抱くとわれはおもう消ゆるまで抱く切なきものを   佐佐木幸綱(昭和13〜)
『瀧の時間』(平成5)所収。抽象的な「われのおもい」が、一行の詩として直立するとき、言霊の力を感じさせられる。


血の匂いは鉄錆の匂い鮮明に傷口が持つ言葉なりけり   伊勢勇(昭和14〜)
「心の花」(平成7年12月号)掲載。「おまえの中の何かが錆びているぞ」とでもいうのだろうか。肉体の、確かさと不確かさ。


ふるさとの母にねだらん牧水の椎の実の歌うたう静か夜   松井千也子(昭和15〜)
「心の花」(平成3年5月号)より。人の心を最も癒してくれるのは、母に繋がる記憶なのかもしれない。下の句の何でもなさが切実さを際立たせる。


薔薇のあをき棘いつまでも抜いてゐる生にも死にも満たされぬまま   持田鋼一郎(昭和17〜)
『夜のショパン』(昭和63)所収。ロマンチストの横顔に、深い孤独の影がさす。但しただのロマンチストには「死にも」とまでは言い放てない。


二日酔いの無念極まるぼくのためもつと電車よ まじめに走れ   福島泰樹(昭和18〜)
『バリケード・1966年2月』(昭和44)所収。無頼を生き、日常への苛立ちを歌う。理不尽な命令形に、説得力を持たせる言葉の強さ。


おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを   伊藤一彦(昭和18〜)
『瞑鳥記』(昭和49)所収。鳥の翼の自由をただ羨むのではなく、目には見えない内臓を思う心。生きることの比喩ともいえる一首。


昨夏はボクシングのまねしてたわむれしまま抱擁をとかずにいしを   晋樹隆彦(昭和19〜)
『感傷賦』(昭和59)所収。戯れから抱擁へ、昨夏から今夏へ。愛にまつわる二つの時間の流れが、せつない。


山脈の小さき谷のわれの灯を夜間飛行の誰か見出でよ   斎藤佐知子(昭和19〜)
『風峠』(平成6)所収。ささやかにして切実な願い。「誰か」はさまざまに読むことができる。いつか出会う恋人とも、歌を読んでくれる誰かとも。


さくらさくらさくらさくらと水の輪の広ごるやうにとほくまで見ゆ   足立晶子(昭和19〜)
『ゆめのゆめの』(平成7)所収。近景から遠景までを埋め尽くす桜。視線の動きが、一首の流れの中で自然に形成される。さりげなく巧みな技。


銀河系、その創まりを思うときわが十代の孤り晶(すず)しも   小紋潤(昭和22〜)
「心の花」(昭和59年6月号)掲載。宇宙も、はじめは孤独だった。その孤独と響き合う十代の心。スケールの大きな一首だが、豪快さよりも繊細さを感じさ せるところが作者の持ち味だ。