春の野に光みなぎり若草をまさぐれるわが瞼明るき   田中長三(大正7〜)
『二葉ぐさ』(昭和31)所収。目の不自由な作者が、心の目で見た瑞々しい自画像。「まさぐれる」という動詞の重み。


正座してついにしびれを知らざりし我が足今はしびれつぱなし   鶴見和子(大正7〜平成18年)
「心の花」(平成9年9月)掲載。老いをテーマにしながら、軽やかな歌いぶり。言い放つような結句が、淡いユーモアを漂わせる。


人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら   竹山広(大正9〜平成22年)
『とこしへの川』(昭和56)所収。被爆を原体験として歌いづづける作者。無言で消えていったてのひらが、語りえなかった言葉が、ここにある。


蝶の眼に見えてわが瞳に見えぬものこの世に在りて闇に入る蝶   築地正子(大正9〜)
『みどりなりけり』(平成9)所収。蝶の眼を感じられる独特の感性。この作者なら、蝶と同じものを見ることができるのでは、とも思う。


繃帯の指気にしつつノートする子を標準にすすむる講義   土屋行雄(大正9〜)
「心の花」(昭和33年12月)掲載。このさりげない心遣い、生徒は気づいていないだろう。それでいい。長く教壇に立つ作者の姿が、目に浮かぶ。


銀の匙を当つる苺のシャーベット君との終の晩餐とも知らず   小金井純子(大正10〜)
『三樹』(平成10)所収。心はずむ午餐が、別れの場面になろうとは。その日の自分を、遡って現在形でとらえた視線が、悲しみを深く伝える。


気まぐれの秋のひざしは続かねば音より早く濡らしゆく雨   巌光重(大正12〜)
『越の四季』(平成4)所収。しっとりとした秋の雨。降る、というよりそれは、ひざしや空気を濡らしてゆくもの。第四句の的確さ、美しさ。


機関車の前輪脱線旅客無事旅客無事とふしらせに緊張ゆるむ   北山寛子(大正12〜)
『むらさき』(昭和48)所収。国鉄職員の夫を持つ作者。客観的な「旅客無事」から温かな「旅客無事」へ。重ねた漢字の変化の妙。


かまきりを葬る遊びを終えし児ら戸口戸口へ姿を消しぬ   荻野美佐子(昭和2〜)
『ひらがなの手紙』(平成3)所収。わらべうたの中にひそむ恐ろしいフレーズに気づいたときのような、読後感。一首の後の深い静寂。


きみや鏡われまた鏡うつしあふ歪みて定かならざる影よ   玉井慶子(昭和2〜平成23年)
『夏籠』(平成6)所収。恋愛は、互いが鏡となって映し合う、永遠の世界。そこに映るのは、実像か虚像か。晶子を思わせる情熱の一首。