秋口の調剤薬局の受付にこの世を過ぎたる我が骨ぞ立つ   大津仁昭(昭和33〜)
『故郷の星』(平成8)所収。作者の目は、地球と似て非なる星を見つめているかのようだ。上の句の具体性が、下の句の不思議さを支える。


傍らで幼き日々を眠りおるおまえ世界はやがて朝だよ   谷岡亜紀(昭和34〜)
『臨界』(平成5)所収。呼びかけることが、相聞歌の原点。やがて朝となる世界と同じ重みで、2人の「世界」がある。


おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光水ヲ下サイ   岩井謙一(昭和34〜)
「心の花」(平成7年5月号)掲載。結句から私は、原爆の被害者を思い浮かべた。その日の苦しみは消えることなく、今も宇宙を走っているのだと。


他愛なきいさかいなれど徒らにこと荒立てし夜の湯豆腐   黒岩剛仁(昭和34〜)
「心の花」(昭和60年2月号)掲載。わかっていても、ムキになってしまう。湯気の中から、いさかいを見ていた湯豆腐のリアリティ。


愛人でいいのと歌う歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う   俵万智(昭和37〜)
『サラダ記念日』(昭和62年)所収。何気ない流行歌の歌詞に、ひっかかる心。会話体の導入が定型と口語をなじませている。


水仙の香りがすいと立ち上がる例えばそんな人だあなたは   矢部雅之(昭和41〜)
「心の花」(平成9年3月号)掲載。おとなしい姿だが、香りは強く主張する水仙。繊細な上の句を受けた大胆な下の句には、恋に落ちる自分への驚きがにじ む。


つらぬきて沢流るると思ふまで重ねたる胸に蛍をつぶす   大口玲子(昭和44〜)
どれほど強く抱きしめてほしい? そんな問いかけへの答かもしれない。二人の胸を沢が貫く程。そしてそこを飛ぶ蛍がつぶれる程。


生態学の講義聴くたび思うこと にんげんと言えばしりとり終わる   田中章義(昭和45〜)
『ペンキ塗りたて』(平成2)所収。若者らしい感覚の溢れる下の句。生態系の尻取りをもストップさせてしまう可能性が人間にはある。


張りつめてゐたる水面に葉の降(お)りて葉のかたちなる波紋ひらけり   横山未来子(昭和47〜)
「心の花」(平成10年2月号)掲載。きめ細かな観察と詩的な描写力が魅力の作者。H音の静かな重なりが、波紋のように心に広がる。


ピバリとう美しき語彙もつ島の春のピバリと別れ来にけり   丁田隆(昭和47〜)
民族学の学徒でもある作者。ピバリの意味が明らかにされないところが、一首の魅力。まっさらな心で、私たちはこの語を噛みしめる。