花が水がいつせいにふるへる時間なり眼に見えぬものも歌ひたまへな 斎藤史(明治42〜) 『魚歌』(昭和15)所収。歌うとは、こういうことなのだと思う。眼に見えるものだけでなく、その奧のふるえを感じることなのだと。 春の雲ほのかにむすびまた消ゆるま空がうへに見入りてひさし 中山昭彦(明治43〜) 『伐折羅』(昭和61)所収。ゆったりとした時間、おおらかな空間。せかせかした現代人とは異なる時計を、作者は体内に持っている。 落下する滝はひたすら両端の白盛りあがり盛りあがり見ゆ 遠山光栄(明治43〜平成5) 「心の花」(昭和57年3月)掲載。生き物のような滝のすがたである。下の句のリフレインのリズムが、そのまま滝のリズムとして伝わってくる。 曼陀羅の一夜みつめし朝にして飯はむわれは他人のごとし 小城正雄(明治43〜平成8) 心を異界にあそばせたのちの、日常への違和感。朝ごはんを食べる自分を、遠くから見ている自分がいる。 金魚の本借りてきた朝から金魚の病気つぎつぎいでて日々ただならぬ 木尾悦子(明治44〜平成2) 『驟雨の中の噴水』(平成9)所収。独特の自由律が持ち味の作者。本を読まなければ、病気とも思わないのに。 お天気に左右され易くなりし身に梅雨明にけり秋立ちにけり 島綾野(明治45〜平成2) 青空が嬉しい、涼風が心地よい……そんな表面的なことではなく、身体の芯で感じる季節感。二つの「けり」の重みと、それが生み出すリズムと。 墓村は五月の海にまむかへり風吹き絶えず昼顔をゆる 林大(大正2〜) 静かな描写のなかに、「生」がきらりと光る。墓村から海へ、そして海から昼顔へ。読者の視線も、風のように揺れる。 覚えきて使ひてみたき言葉あまた貯へて子の背丈伸びたる 佐佐木由幾(大正3〜平成23年) 『半窓の淡月』(平成元)所収。心の成長とからだの成長とが、子どもの中で響き合っている。そのことをまぶしく見守る、あたたかなまなざし。 枯れいろの芦はてしなき野づらにて木曽も長良も海遠からず 村田邦夫(大正3〜) 佐佐木信綱のそばにあって、研究、著述をたすけた作者。叙景の歌としても十分読めるが、全体が学問の道の比喩のようにも思われる。 なき人に傾く闇をしんしんと支配してゆく花の匂いよ 森本秀子(大正6〜) 『補液の章』(昭和60)所収。闇は、作者の心そのものでもあるだろう。目に見えるものは何もない世界だが、不思議なほど鮮やかな印象が残る。 |