見る夢の夢の形をなさず覚めあかときはやく聞く鳥の声 五島茂(明治33〜) 石榑千亦の三男。美代子と結婚して五島家に入る。父の関係で早く「心の花」に作品を発表。昭和13年に美代子とともに「立春」を創刊する。 沓掛の古き宿場のつばくらめ今年もちちと鳴き遊びをり 時枝誠記(明治33〜昭和42) 『言語過程説』で知られる国語学者。昭和21年8月号「心の花」にこの歌ただ一首が載っているのを偶然見つけた。探してみたが、ほかに一首しか見つからな かった。 潔浄の島となすべし夜の更けを月の光の地に沁み透る 岡野一市(明治35〜昭和62) 昭和23年に「心の花」に入会。広島県の因島に住んでの故郷の風土に根ざした作は、多くの愛読者を持った。提出作の「島」もむろん、因島である。 たれいふとなく 白い花いけてゐるときを恋した 児山敬一(明治35〜昭和47) 昭和2年「心の花」に入会。口語自由律短歌を積極的に押しすすめ、昭和5年、津軽照子らと「短歌表現」を刊行する。哲学が専門で東洋大学教授等を歴任し た。 ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる 前川佐美雄(明治36〜平成2) 大正10年に「心の花」に入会。昭和9年に「日本歌人」を創刊した。提出歌は昭和5年6月号「心の花」掲載の作。シュールレアリスムとナンセンスの歌で、 『植物際』にもむろん収録されている。 しどけなく物思ふ春を谷かげの蛇やとかげとわが犬は遊ぶ 富岡冬野(明治37〜昭和15) 大正8年16歳で「心の花」入会。大正13年、二十代に入ったばかりの第一歌集『微風』は独特の感覚で注目された。乗馬服に鞭を持った馬上の美少女、京都 の町で彼女のそんな姿が見られたエピソードを、遠山光栄が書いている(昭和39・4「心の花」)。三十代半ばの死を惜しんで、片山広子、斎藤史らによって 歌文集『空は青し』が刊行された。富岡鉄斉の孫。 川床を相打ち相ふれ流れ来て小石みなまろく個性うしなふ 伊藤嘉夫(明治37〜平成4) 昭和4年「心の花」に入会。信綱のそばにあって、昭和一桁の終わりから10年代にかけて「心の花」の編集に関わる。西行の研究で知られる国文学者。提出歌 は、「心の花」七百号記念号掲載の自選歌。 白猫も青磁の壷もかがやけばかかる夜擾乱はたやすく起きむ 真鍋美恵子(明治39〜平成6) 昭和元年「心の花」入会。昭和3、40年代「心の花」編集委員をつとめる。『玻璃』によって現代歌人協会賞。硬質、感覚、非現実といったキーワードで語ら れる独特な作品世界を開示して歌壇的にも活躍した。 いまはもう心動かすことはなき日暮れぞじつと雲を捉らへゐて 保坂耕人(明治42〜) 昭和7年に「心の花」に入会。山梨県甲府にいて故郷の風土をうたってきた。昭和49年から「心の花」編集委員。提出歌は、石川一成の「保坂耕人小論」 (「心の花」1001号)で推賞している作。 目とづれば眼前に痴呆の童子居て吾を嘲り時に吾なり 佐佐木治綱(明治42〜昭和34) 信綱の三男。昭和28年から「心の花」の編集兼発行人となる。著書に『永福門院』等がある。五十歳の若さで死去したが、晩年の作は遺詠である提出歌のよう な思索的な方向に行っている。 |